2011-10-24 第179回国会 衆議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 第3号
また、ジェンキンスさんも、一九六〇年代の後半に、平壌でソ連大使館に政治亡命させてくれということで駆け込んだことがあるということだそうでございます。 したがいまして、朝鮮半島の有事の際、あるいはそうでないときにも、こうした拉致被害者の方はもとより、特定失踪者と言われる方も、北朝鮮にある在外公館に逃げ込む可能性があるのではないかというふうに思っています。
また、ジェンキンスさんも、一九六〇年代の後半に、平壌でソ連大使館に政治亡命させてくれということで駆け込んだことがあるということだそうでございます。 したがいまして、朝鮮半島の有事の際、あるいはそうでないときにも、こうした拉致被害者の方はもとより、特定失踪者と言われる方も、北朝鮮にある在外公館に逃げ込む可能性があるのではないかというふうに思っています。
ソ連大使館に搬入、保管をせよ。仮にこれが事実であるとするなら、こういうふうな指示がなぜ出されたかと考えれば、それは、いわゆるソビエトに対して、ある種、恩義を売る。やはり原子爆弾の技術というのは極めて重要でありますから、恩義を売ることによって日ソのいわゆる終戦交渉を有利にしようという、瀬島さんの一つの判断があったと思うんですよ、これが事実だとすれば。
また、昭和五十四年には、元陸将補並びに当時の二等陸尉及び准陸尉が在日ソ連大使館の武官に秘密を漏えいした。さらに平成十二年には、当時の三等海佐が在日ロシア大使館付武官に秘密を漏えいした、まさに坂本委員御指摘のとおりであります。
そうしたら後でソ連大使館から文句をつけられまして、警察が拉致したんだろうと言うのです。
そして、もう一つの辞任の理由は、キーラー嬢がソ連大使館幹部と交際していた人物だったからです。 それともう一つ、時間がないので、象徴的な一例を挙げます。ブラント西ドイツ首相が辞任したのは、ギョーム事件という、これは、個人秘書ギョームが東側のスパイであったことが判明して、東方外交の輝かしい業績の中で彼は辞任したんです。
外務省は、きょう欧亜局長が大使館に申し入れをしたようでありますけれども、このソ連大使館への申し入れというのは、結局これは領土問題に対する認識の問題で申し入れしているわけですよね。で、水産庁としては、韓国に対してこのことを何らかの形でもう一度何か抗議をするという予定はありますかありませんか。
しかしソ連大使館の人は行ったのですね。これまたどうして一体現地の副領事はだめで大使館からはいいのだろうということで、そんな話題も出ているのです。これは一つの例ですが、さまざまなことがまだある。これは領事館の人の話ですが、そうでない一般のソ連人の旅行等についても同じことだと思います。
以来、きょうまでサミット参加国のすべての首脳とエリツィン、ゴルバチョフ両大統領とも、これは外務省のソ連大使館の非常な努力によって、あの混乱の中で、とにかく電話で話がしたいんだという指示に基づいてつないでもくれました。 そういったところで、日本としては、国際的な世論の支持の中の一国として日本もソ連には激励をし、サミット諸国とは国際的世論を盛り上げるための共同作業をする。
直ちに安全保障議員懇談会を開いて情報収集を始めるとともに、そして政府の態度をきちっと決めて、このような憲法違反の極めて強い法秩序に対する異常な事態、これに対しては深刻に受けとめておるという懸念を表明するとともに、さらにこのことについて人道上の問題からゴルバチョフ大統領の生命の保証を強く求めたり、あるいは武力行使はこれは絶対に停止すべきであるということを、ソ連大使館を通じてあるいは政府声明を通じてこれを
また、ここで伝わっていると思うと申し上げたのは、予算委員会が始まってしまいましたので、確認してありませんでしたが、今確認しましたら、昨日きちっと私のあれはソ連大使館を通じて伝えてあるということでありますから、伝わっております。
○都甲政府委員 本件につきましては、日本政府といたしましても、我が方の在ソ連大使館及び在ナホトカ総領事館から、それぞれ北朝鮮側の在ソ連北朝鮮大使館及び在ナホトカ北朝鮮総領事館に対していろいろと接触を試みておりますけれども、先方から面会を拒絶されております。そういうことで、私どもの努力というのは今まで実っておりません。
その、譲っておきながらの問題ですが、例えば、一九九二年の沖取りの全面禁止について、この前、北海道の代表が全国大会の後ソ連大使館に要請に行かれたのです。そうしたら、この代表団に会われたニコラエフ参事官は、沖取り禁止は日本政府が了解している、こういうふうに答弁をされたそうであります。
ソ連大使館などもこのシンポジウムにアドバイスやいろいろなかかわりを持っておられるように思います。この日ソ・シンポジウムというのは、単なるソ連抑留者の問題のみならず、こういう時期でありますから、日ソ間の民間ベースのいろいろな問題が話し合われるのだろうと思うのですね。このシンポジウムに外務省としても、いろいろな対応というか、そういうお考えをお持ちかどうか、お聞かせ願いたい。
○政府委員(都甲岳洋君) 御承知のアルメニアの地震につきましては、七日にこれが発生いたしまして、八日にその被害が非常に大規模なものであるということがわかりまして、すぐに政府部内で協議を始めまして、その協議を経た上で九日の朝、在京ソ連大使館に、我が方として人の派遣あるいは物資の供与という形で援助をする用意があるということを申し出、それから我が方の在ソ大使館にも電報を打ちまして先方側と協議をさせたわけでございます
また、きょう午後私はソ連大使館に、帰国後ずっと二日間委員会がございましてきのうはなかなか大変でございましたが、時間を得ましたのでこの委員会終了後直ちにお見舞いに参上したい、かように考えております。今後のことはソ連の方からの要請に従いまして幾らでも我々としてはなさなければならぬことはやっていきたい、かように思っておる次第であります。
特に、これは場所にもよりますけれども、現在国際的な活動、非常に外交面でもありますが、例えばアメリカ大使館、ソ連大使館、英国大使館というのを見てますと、日本政府が遷都を決定したから、おまえたち全部新首都に行けといっても、それはキャンベラぐらいなら行きますけれども、とても東京の機能はついていけそうもありません。そういう意味で、私は遷都は余り議論しない方がいいんじゃないかと思っております。
しかし、典型的なものとしては、右翼が反ソデー等で街宣車を連ねてソ連大使館周辺に押しかけたりしているようなことがいろいろ問題になっておりますので、そういったような形態を考えながら、先ほど法制局長が申されたように、内部的ないろいろな検討をやってまいりたいというふうに考えております。
そして参考までに申し上げておくんですが、大分前になりますが、ソ連の原子力潜水艦が日本の領海侵犯をしたとき、あのときに時の官房長官は、領海侵犯と受けとめるといってソ連大使館の参事官を呼んで小言は言ったわけなんです。しかし、最終的にはソ連の軍艦は二時間三十五分にわたって我が国の領海を堂々と通過していったんです。
御承知のとおりに、ことしの上半期におきまして次官レベルでそうしたおぜん立ても整えてもらうようにしたらどうかと、この間ソ連にもそのことを申し入れてありますし、在日ソ連大使館といたしましては、それは非常に必要なことである、こういうふうな回答も得ておりまするから、そういう経緯を踏まえながら粘り強く、国論というものも背景といたしましてやっていかなければならない問題である、かように心得ております、
その後、在京のソ連大使館から、これは二月の三日でございますが、侵犯した飛行機の機長の名前はノゴヴィツィン、機長は一階級の降格処分、こういったような措置をとったと。さらに二月の十九日、モスクワでソ連の国防次官が、当該侵犯機の機長はすべての航空機への搭乗禁止処分、それから部下のパイロットは同機種への搭乗禁止処分を科されたと。
なお、大変大切なことでございますから、この経緯は政府委員から説明させたいと思いますが、侵犯が行われましたその翌日に、防衛庁は速やかに諸種の確認をした後、外務省に連絡をしてくれまして、外務省といたしましても直ちにソ連大使館に抗議を申し入れ、大使がやってきたわけであって、その大使の応対もまれに見る——今までなかったと言われますが、非常に驚き慌て、そして誠意を果たしてくれました。